meme’s blog

その日の気分で思ったことを長々と呟いているブログです

スピリチュアルを上手に生かせるのは、たぶん現実世界で超一流の人なんだろうなあって思う

スピリチュアルを20代半ばからずいぶんかじってきて、アメブロでもスピ系の人たちと結構交流してきたんですが、別に自分の現実はよくなりませんでした。

 

まだ現実重視で生きてる時期のほうが、我ながらまともだったな。

 

まあそれに気づいてスピから遠ざかって今も現実で生きてるんですけど。

 

むしろスピってた時のほうが、生きづらさに拍車がかかっていたし、どんどんつらくなっていったなあ…。

 

結局スピリチュアルって現実を増幅させるだけなんですよ。

 

だから病んだ状態(人生がうまく行ってない状態)ではまってもその精神状態が増幅されるだけっていう…。

 

逆に一流の経営者とかはスピリチュアルを上手に生かしていますけど、それも結局現実世界で一流なんで、その状態が増幅される、っていう仕組みだそうです。

 

要するに、スピリチュアルは、現実をさらに良くするために、スパイスのように取り入れるものなんですよね。

 

ツインレイとか、うまくいかない恋愛からスピリチュアルにはまっても、結局現実はよくならないんだよなあ…。

 

しかもスピにはまる人って、その思想がすべてになって、普通の当たり前のことを馬鹿にし始める人ばかりなんですよねえ…。

 

自分たちだけが高次元に行けるって思いこんじゃうんです。

 

だから怖いんだよなあ…。

 

まさにカルト。

 

 

スピリチュアルは、現実がしっかりしてる状態の人が、ちょっとだけ取り入れるのが望ましい。

 

現実にほんの少し色を添える、くらいの感じなんですよね。

 

ツインレイもファンタジーです。

 

 

好きな人が自分の魂の片割れで、遠い昔に一つだった、って考えたら確かにロマンチックだもんなあ~。

 

でもあくまで創作でしかないし、生きてるうちに確かめることは出来ない。

 

その程度のものなんだよね。

 

それを妄信してる人が多いから怖いんですけども。笑

 

生きづらさからスピリチュアルに逃げても余計に厭世的になるだけ。

 

普段の生活をこなしつつ、自分の役目をこなしつつ、ちょっと見えない世界の力を借りるっていうのはいいことだと思う。

 

年一回の、星まつりだっけな?祈祷みたいなやつがあって、実家は毎年節分の時期に神社にお参りした時にやってるんですけど、そういうのはいいと思うんですよね~。

 

厄年に厄除けしてもらうのもいいことだと個人的には思うし。

 

ただすべてを厄年のせいにしたら駄目だし、現実的な対処が一番大事。

 

 

神様はいるけど、現実をしっかり生きて、現実での役目を果たしている人を助けてくれるんだと思う。

 

友達なんかいなくても全然生きていける

友達って何なんでしょうね?

 

何をしたら友達なんでしょうかね。

 

一緒にご飯を食べながらなんでも話せること?

 

気を使わない関係?

 

私も20代のころまでは、なんでも話せることが美徳、全面的に信用することが美徳、って思ってました。

 

自分も信じてる人のためになんでもしてあげようって思ってました。

 

だけどそれって結局共依存になって憎たらしくなっていくだけなんですよ。

 

ちょっとしたすれ違いで「裏切られた、そんなん聞いてない」みたいなややこしいことになったりもしたし。

 

これって男女の恋愛でも同じだと思うんですけど。

 

ある時気づいたんです。

 

自分の都合を満たしてくれるボランティアなんでこの世にいないってことに…。

 

この真理に行き着くまでにいろいろ騙されたり失敗してますけども、世の中いい年しても分かってない人いっぱいいるから(だからネットでロマンス詐欺が後を絶たない)私は早く気づいたほうかもしれないです。

 

自分の欲求を満たしてくれるボランティアなんて絶対にいないんです。

 

皆自分のために生きてます。

 

損得勘定で生きています。

 

親が子供に無償の愛を持つとしてもそれは「自分が産んだから」ですもんね。

 

ある意味条件付きであって。

 

無条件の愛、損得のない親友、いつでもそばにいてくれる恋人、なんて、おそらく存在しないんじゃないかな。

 

あったとしても一時の幻想であって、必ず破綻する。

 

だから人は神を創造したともいえるんだろうし。

 

 

人間はみんな未熟で、与えてほしい生き物なんだよね。

 

それは相手も同じだから。

 

 

自分に全面的に寄り添って、都合のいい甘い言葉をくれて、すべて肯定してくれて…そんな人この世にいません。

 

人はみんな自分の欲を満たすために生きているから。

 

それが悪いわけじゃないです。

 

むしろ当たり前です。

 

 

大切なことは「寄りかかりすぎない」ってことですよね。

 

腹六分の関係ってのがめっちゃ大事で。

 

美輪明宏さんが、人付き合いは水臭いくらいでちょうどいいっておっしゃってましたけど、ある程度年齢重ねて意味が分かってきましたよ。

 

何でも言い合える関係なんてただの依存です。

 

お互い腹六分で、他人行儀で付き合うくらいで、ちょうどいいんです。

 

人間なんてめんどくさいんで。

 

 

すべての人と距離感を保つのが実は理想っていう。

 

そうなると、たわいもない世間話さえできれば、がっつり友達と呼べる人がいなくても全然生きていけるんですよね。

 

自分のことも深く話さない、他人のことも深く聞かない。

 

職場の人間関係くらいがちょうどいいんだよな~。

 

学生時代の友人とかもういらないっていう。

 

他者とは適度な距離感で付き合うのが望ましい。

 

自分以外みんな他人だから。

 

 

体が弱くて死にたいって何度も思った

世の中見渡すと、うつ病で死にたい方はいっぱいいるじゃないですか。

 

なんならうつ病が知られるようになって、脳のエラーで心の病気ってわかってきて、市民権得てきてるような気もするし。

 

でも私のように体が弱くて敏感すぎて死にたい人間ってあまり知らないんだよな~。

 

不幸自慢してもきりないから細かくは書かないけど、本当にいいことないんだよね。

 

医者曰く私の場合は精神疾患にならないようにストレスを体が受けるタイプらしい。

 

確かにあんまり異常な行動が出来ない。

 

めっちゃ保守的で思慮深いタイプだと自覚している。

 

だって無理すると動けなくなるからw

 

職場が精神疾患の利用者さんが多いから、精神患ってる方の行動や考え方には、私もいつも驚かされる。

 

でも体がストレスを受けて、頭が中途半端に正常ってのもきついんだよ…。

 

 

体弱い、HSP、本当に難易度高いわ。

 

 

 

実は今日坂口恭平さんの個展に行ったんです。

 

双極性障害患ってる芸術家さんなんですけど、以前から興味があって奈良まで行った。

 

こういう方はたぶん体は丈夫なんですかね?

 

でも著書やnoteを拝見してると参考になることがたくさんあるんだなあ…。

 

自分の薬は自分で作るっていう発想、なかなか面白かった。

 

本当にそうなんですよ…。

 

自分のことは他人にはわからんのよ。

 

私もなあ~、本当はもっとのびのび生きる方が健康になれるってわかってるんです。

 

だけど私には仕事があって。

 

ストレスあるけど手放しちゃいけない大事な仕事で…。

 

 

一応自分の仕事が自分の天職ってのは分かってて…。

 

おそらく自分の人生にとって大事だから手放せない、だけどこれだけだと収入少なすぎてジレンマ、かといってこれ以上働けない…。

 

人生って難しいんよなあ。

 

 

弱い人間は、どう生きたらいいんだろう。

 

いや、馬鹿正直に悩むからしんどいんだってわかってはいるんだ。

 

でも生きることは悩むことでしかなくて。

 

結局失敗して間違えて、その繰り返し。

 

体も心も、病むとつらい。

 

でも病むからこそ人の痛みが分かる。

 

私なんてベースはおバカだし、すぐ調子乗るから、もし健康体だったらめちゃくちゃデリカシーのないやばいやつだったような気もする。

 

弱いから優しくなる。

 

人を馬鹿にできないから謙虚でいられる。

 

そういう利点もあるんだよな~。

 

でももっと調和のとれた人間に成長したいよー。

 

 

自分の体とうまく付き合いたい

駄目だな~本当はカフェインに弱いのに、最近も飲んで失敗してしまうことが多々あったり、まだまだセルフコントロールが出来てない。

 

何歳になっても自分とうまく付き合うのってめっちゃ難しい。

 

30代半ばに差し掛かってきて、体も日々変化するし、20代のころの感覚とも全然違うし…。

 

自分の心身のことは自分にしかわからないのに、自分自身が自分のことがわからない。

 

30過ぎてだいぶコツつかんだかなって思ってたら去年くらいからまた結構崩れちゃったしなあ~。

 

HSPで体弱くて、昔から人に迷惑いっぱいかけてきたなあ…。

 

ただでさえ気にしやすいのに、この体質のせいで呆れられたり笑われたり…。

 

人に迷惑かけたくないって思えば思うほど、失望されたくないって思えば思うほど、空回りなんだよなあ~。

 

逆効果なのかもしれないね。

 

でも性格(性質?)だから治せないし…。

 

いつになったら人生の答えは見つかるのだろう。

 

死ぬまでわからないのかもしれないな…。

 

 

結局自己啓発とかスピリチュアルとか、誰が提唱している話であっても、自分とは違う他人の意見でしかなくって。

 

 

何を読んでも、なんか違うんだよね。

 

まあ当たり前の話なんだけどさ…。

 

自分のことは自分で悩んで考えて、問い続けるしかないんだ…。

 

誰かが人生のマニュアルでもくれりゃいいのにって最近めっちゃ思う。

 

学生時代の勉強みたいに答えがあればなあ…。

 

昔から思うんだけど、大切なことほど誰も教えてくれないんだよねえ…。

 

 

重度HSPの方って、みんなどうやってセルフコントロールしてるんだよって思う。

 

自分みたいな人に会ったことない。

 

もっと普通な友達ばかりだったし。

 

まあある意味私も普通な部分も持ってるんだろうけどさ…。

 

心も体も不器用で、いつも泣きたくなる。

 

そういやHSPの方はコロナ禍が楽だったんじゃないかな?と思うんだけどどうだろう…。

 

どこも人が少なくて空いてたし、外交的なパリピみたいな方に比べたら世の中が静かで気持ちが落ち着いた方が多かったんじゃないかなあ…。

 

個人的にマスクが市民権を得たことはよかったな~。

 

しんどい時に顔までしんどい表情になっちゃうのが嫌だったんで、マスク外さなくていい風潮になって私は助かった。

 

人それぞれだよね。

 

ないほうがいい方もいっぱいいるんだろうけど私は楽。

 

化粧も嫌いだから本当にマスクで救われた。

 

風邪は定期的に引くタイプだからコロナになってもうろたえることもなかったしな~。

 

正直コロナじゃなくても風邪で死にかけたことあるんで、コロナだけを特別扱いするのは変だし、やっぱり騒ぎすぎだったとは思うね。

 

 

ただ平成の同調圧力が息苦しかった内向型人間としては、今のほうがまだましかな。

 

世の中色んな人がいるってことです。

 

職場のN95マスクはなかなかしんどかったけどね~。

 

マスク警察はうっとうしかったし、とにかくどんな考え方も強制するのは間違ってる。

 

マスクしたい人はすればいいし外したい人は外せばいい。

 

それだけのことですから。

 

 

人間は変化することが当たり前

この歳になってくると、変化するのが人として、生物として、当たり前だなって思えるようになってきた気がする。

 

変化しないほうがおかしいっていうか、地球の原理原則に背いてるんだよね~。

 

細胞は毎日入れ替わってるわけだし。

 

変わらないものなんかない。

 

それなのにアンチエイジングだの、若さを保つだの、私たちって「変わらないこと、現状を維持すること」が美徳だと思いがち。

 

でもそうじゃないんだ…。

 

去年からまた体の変化をめっちゃ感じてるせいか、「変化すること」について考えさせられることが多いんですけども。

 

やっぱり厄年って言われる時期って変化がめっちゃあるんでしょうね…。

 

また女性の場合ホルモンバランスも激しく変わっていく時期だし、明らかに若いころの体とも違ってくるのが分かるっていうか。

 

まあ昔からいろいろあったせいで、意外と考え方はしなやかになってるなあと思う。

 

変化を許容することの大切さをめっちゃ感じるから。

 

生きてると竹の節目みたいな時期が定期的にあるんだよね~。

 

大きな節目もあれば小さな節目もあって。

 

その都度いっぱい考えて悩んで。

 

いつの間にかその時期も通過していく。

 

その繰り返し。

 

ずっと同じ状態は、良くも悪くもあり得ないことをわかってるから。

 

私って竹みたいな人間だなあと思う。

 

ずっと心身が頑健で、突如取り返しがつかない大病になるタイプの人も結構いるけど、私の場合逆っていう…。

 

ずっと弱いから、その都度自分自身を変化させて、その状態で折り合いをつけて…の繰り返し。

 

変わることを恐れても無駄ってことを、よくわかってる。

 

昔はこんなに柔軟になるとは思ってなかったなあ…。

 

経験からめちゃくちゃ学んでる自分がいるわ。

 

そういう意味では、若いころからいっぱい死にかけたりしんどい目にあってよかったのかもな~。

 

あんまりうろたえない。

 

経験から判断できるだけの材料をたくさん持ってる。

 

過去のデータがあって、多少不具合があっても、ゆったり構えてりゃいいことが分かる。

 

人生万事塞翁が馬ってやつ。

 

 

 

 

 

既存の社会と合わない。いつもどこかずれている

ぶっちゃけ結構厄介な持病持ってて、この一年か二年も症状が強い時が多い。

 

脳の神経の問題だから、気にしない時間を多く作るしかないんだけどね。

 

言っても分かってもらえないからあんまり言いたくないんですけど、私はストレスが全部体に出てしまうタイプ。

 

精神を病みたくても病めないタイプなんで、意識が変に正常なのもしんどいんだよなあ…。

 

苦しい地獄のような時間も、精神が正常なせいで、結構細かく覚えているし。

 

周りの感情にも敏感だし。

 

どんな時でも意識がはっきりしているのって、時と場合によっては苦しいこともある。

 

一番症状が出るのが口の中。

 

口腔心身症っていうらしい。

 

子供のころから壊滅的に歯が弱くて、痛みにも弱くて、厄介な患者扱いされるしで、悪循環を繰り返してた。

 

30歳ころにはずいぶん楽になっていたのに…

 

 

生きてるだけで考えなきゃいけないことが多すぎて、生きづらすぎて、結局再発?してしまった。

 

なんかもう、生きてるの、しんどいです。

 

いつだってそう。

 

子供のころからやんわり鬱なんだよね。

 

でもうつ病ってほどでもなくって。

 

精神科医にも精神は正常って言われてしまう始末。

 

でも病んでるっていう。

 

生まれてきたこと自体が間違いだったのかもしれない。

 

私は躁鬱ではないけど、鬱の気はあるんだろうなって思う。

 

いつだって世間様になじめない。

 

どうしても同じ行動をとることができなかった。

 

人の気持ち自体は理解できるのに思考や行動が理解できない、というジレンマ。

 

それが子供のころからの絶望感の正体だった。

 

人に共感はするのに、人のいうことを自分のこととして当てはめても何の参考にもならない。

 

さすがに自分が人と違いすぎるんだ、って思春期終わるころには気づいてたけど。

 

私は色んな統計の占いで見ても相当珍しい星持ってるらしいけど、どう考えても同年代より過酷で不器用だしなあ。

 

そのくせ客観視できてしまうから、そこもしんどいっていう。

 

HSPで過敏過ぎて、いい人でいることしかできない。

 

人と争えない。

 

争うとダメージが何十倍にもなって帰ってくるからコスパが悪すぎるんです。

 

気が強い人が生まれつきなように、弱い人も生まれつきなんだよね。

 

体が生まれつき弱い人が強い人のように生きられないのと同じだなあ。

 

でもまあまあ自分という人間をやってきてわかってることがある。

 

窮屈だと症状が悪化する。

 

体調がいい時って、心身が徹底的に自由な時。

 

仕事辞めたら一気に楽になるってのを繰り返してる。

 

多分同じことをやってると負のリズムができやすいんです。

 

それをすべて崩してしまうと、めっちゃ楽。

 

かといっていちいち仕事辞めるわけにもいかないんで難しいんだよな…。

 

大事なのは「負の循環のもとになっているリズムを崩す」ってことだから。

 

 

窮屈だとダメ。

 

もっと自由でいい。

 

多分自由すぎるくらいでいいんだよな~。

 

私という人間は、数か月決まったことは何もしない、とにかく束縛されない、っていうくらい、非常識なほうが健康にいきられちゃうタイプなんです。

 

変わってるでしょうが本当にそうなんだから仕方ない。

 

体質でしょうね…。

 

だけど今現実問題それは難しくって。

 

とにかくリズムを崩すにはどうすればいいか。

 

その実験の一環として、夜中にこんな文章を書いてる。

 

まあ明日も休みだから、寝てられるし。

 

普段しないことをしたら何か変化するかもしれないし。

 

 

流れを変える、よくないリズムを出来るだけ崩す。

 

めっちゃ眠いはずなのに考えすぎて眠れないから、あえて余計頭がさえそうなことをしてみる。

 

これも普段やらないことだから。

 

既存の常識をどんどん疑って、試行錯誤するしかないから。

 

世間で言われてる事って、とことん疑ってみる価値があると思う。

 

どんな考え方も合う合わないがあるんで。

 

坂口恭平さんのnoteめっちゃ面白いやん…

坂口恭平さんて、双極性障害を患いながらいろんな活動をされてる方みたいですね。

 

実は以前とある人に、私の風景画が坂口さんと似てるって言われたことがありまして…勝手に親近感を持ってるんだよなあ…。


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この方が「才能なんかなくてもとにかくやりたいことをやれ」っておっしゃってるんですけど、目からうろこっていうか。

 

たしかにその通りなのに、なぜか私も含めてたいていの人は、才能ないからやっても意味ないや、辞めとこう、ってなっちゃうんですよ。

 

自分の楽しみより他者の評価優先で生きてる。

 

これって刷り込みだよね…知らず知らずのうちに世間の洗脳に毒されてる。

 

 

あと悩んでる人に向けたアドバイスで、「人生で一番ましだったころのことを思い出して、そのころに楽しかったことをやりゃあいい」、みたいなことも書いてるんですけど…。

 

私が人生で一番ましだった時期に、楽しんでやってたものって何だろう?って考えてみたんです。

 

よーく思い出してみると、実はピアノなんです。

 

今全く弾いてないですけど、まさしくやらない理由は「才能がないから」でした…。

 

 

まあ吹奏楽部で音楽のドロドロに失望した、っていうのもあるんですけど、昔は本当にピアノが好きだったんだよな~。

 

下手の横好きっていうのかな??

 

才能無くて恥ずかしいから結局弾かなくなっちゃった。

 

でも坂口さんにいわせりゃ、ごちゃごちゃ言ってねえでやれや、って話なんでしょうね…。

 

どっかで私たちって、結果が出るからやる、っていう発想になりがちなんですよ。

 

練習してもどうせうまくなれないからやらない。

 

人から評価されないからやらない。

 

だって人より上手くできて、人に褒めてもらえる方がうれしいから。

 

もしくは下手なのに何かやっても恥ずかしいから。

 

あいつ出来へんやん、って思われたくないから。

 

でもたぶん人生を楽しくするには、自分が今やりたいことを問いかけ続けなきゃいけなくって。

 

そこに他人の目って関係なくって。

 

うまくなくていい。

 

下手でもいい。

 

とにかく何か活動して、エネルギーを外に向ける、ってのが大事なんだと思う。

 

私も内向的なHSPだから、才能ないからやらないっていう発想になるとマジで何もしなくなってしまうんですよ。

 

そうなってくると、私はうつ病にならない代わりに体がどんどん病む。

 

色んな事に過敏になって、さらに内側にこもってしまう。

 

それを避けるには、たぶん何かの創作活動ってめっちゃいいはずなんだよね。

 

まだ常識にとらわれまくってる自分を感じますねえ…。

 

一見型破りなことが、めっちゃ真理だったりするんだよな~。