meme’s blog

その日の気分で思ったことを長々と呟いているブログです

今更ヒロシさんのキャンプ動画を見てみた

今更ヒロシさんのぼっちキャンプの動画を見ました…。

 


www.youtube.com

 

いや~…こんなに心地いい動画だとは思わなかった…。

 

どの動画もこういうノリなんですかね?

 

これは別の作業しながら、なんとなく流してみるのもいいですねえ…。

 

こういうシンプルな動画を芸人さんがやってるなんて知らなかった。

 

しかもなんと9年前からやってるんだ…。

 

芸能人の動画なんてしゃべってなんぼの世界だと思ってたんですけど、BGMもない、トークも基本的にない。

 

情報ってこんなに無くていいんだ、って衝撃受けた。

 

むしろ何もないからこそ入ってくる音や映像が心地いい…。

 

キャンプなんて一切興味なかったんですけど、この方の感性めっちゃ好きだわ…。

 

青汁王子さんのチャンネルでこないだコラボしてて、人間があまり好きじゃないとか、一人でやるのが好きって言ってたけど、確かにヒロシって芸人さん特有のいい意味の「やかましさ」がないんだよね。

 

芸人の世界なんて社交的で話好きでなんぼだと思うんですけど、その中で完全な独自路線を開拓している。

 

人間ってこんなに自分らしくやっていいんだ、って思わせられるというか…。

 

自分もあんまり周りに合わせられないタイプだから、こういう路線で生きてらっしゃる方ってめっちゃ参考になるんだよな~。

 

誰にもこびない、群れない感じ…見習いたい。

 

もっと自分らしく、堂々としてりゃいいんだよな。

 

別に自分が自分らしく生きてたって、誰にも迷惑かかんないんだから。

 

むしろ中途半端に周りに合わせて大失敗する方が結局大迷惑かけるんだよな~。

 

そういう失敗なら昔からたくさんあったし。

 

私たちってどっかで「みんなと同じであること」が美徳だと刷り込まれてるじゃないですか。

 

はみ出し者は許さないっていう空気、子供のころからあったと思うんです。

 

どうしても潜在意識に徹底的にそういう観念が焼き付いてしまっている。

 

私も脱線しまくりの人生を生きてる割に、いまだに洗脳から抜け出せない部分があるんです。

 

 

 

もっと静かに、自分らしく生きていいんだ…。

 

どっかでまだ「変わり者になりたくない」っていう思いがあるんですよ。

 

変わってる、って思われてもろくなことないっていう感覚があって。

 

でもマジで、生き方なんて十人十色なんだよな~。

 

もっと自分らしく存在していたい。

 

そのことに自信持ちたい。

 

30代にもなって、令和の時代にもなって、まだ子供のころに学校で受けた洗脳教育引きずってるなんてなんか恥ずかしいな。

 

私らしく生きりゃいいんだよな。

 

 

だけどヒロシさん、今年になってから一本も動画出してないんだよな~。

 

多分テレビでもキャンプやらされてマンネリになってるんだろうなあ…。

 

でもこういう方は強いから、きっと突破口を見出してまた飛躍すると思うんですよね。

 

それも含めて今後の動向に注目したい。

 

 

得意だけどそこまで好きじゃないことと、苦手だけど好きなこと、結局どっちをすべきなんだろう

私は絵画が得意なんです。

 

小学生のころ何枚賞をもらったかわからない。


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だけど子供のころから美術ってそこまで好きじゃなくって。

 

音楽は絵に比べたら全然出来ないくせに、小学生のころからピアノ(これは親にやらされたんですが)学生時代は吹奏楽と、あまり出来もしないのに、苦手な音楽にずっとしがみついていたんです。

 

いくら練習しても周りに比べたら出来てなくって、萎縮しちゃうから人間関係も全然うまくいかなくて、悪循環で、でもなぜか音楽が好きで、っていう矛盾を抱えておりました。

 

まあ最終的には音楽の人間関係のドロドロに疲れて辞めて、そのタイミングでなんとなく絵を描き始めたらやっぱり何も考えなくてもすらすら描けるから、音楽との違いに驚いたのと同時に人間の適性というものを改めて考えました…。

 

かといって好きじゃないのに美術部に入ってたとして、幸せではなかっただろうけどね…。

 

出来ることって、初期設定で最初から出来ちゃってるから、ありがたみが分からないんですよ。

 

出来ないことにあこがれを抱いてしまう。

 

好きだけど自分が苦手なことをやるのと、得意なことをやり続けるのと、どちらがいいのか。

 

30過ぎてなんとなく思うことがある。

 

多分、脳みそが柔らかい若いうちは(10代とか)は苦手なことに挑戦したらいいと思うんですよね。

 

人生長いし。色々真剣にやってみることは、柔軟な若いうちにしかできないような気がするんで。

 

 

だけどある程度の年齢になったら、得意なことにシフトしたほうがいいと思う。

 

社会に出てからの仕事なんかまさにそうですもん。

 

苦手なことだけどやりたいことって、周りに迷惑かけるだけなんですよね…。

 

例えば私みたいな人間が看護師になったら大変です。(実はもともと看護出身。親に資格を取れと言われて目指しましたが向いてなくてなれませんでした)

 

何人殺すかわからない。

 

ぶっちゃけヘルパーも向いてなかったし。

 

だけど介護助手っていう仕事には異様な適性がありまして…。

 

深く考えなくてもめちゃくちゃ評判いいんですよ。

 

別にやりたかったわけじゃなくって、自然に気づいたらやってたことなんですけど、それが適性なんだよなあ…。

 

自分の意志とは関係なく、むしろやりたくなくてもやらされちゃって、喜ばれること。

 

これを見つけて極めていく、っていうのがたぶん大人になったらめっちゃ大事。

 

よくいるんですよ、看護師さんに向いてないのにお金が、とか、憧れてたから、っていう理由でしがみついてる方。

 

多分本当はもっと自由に、楽に生きられるお仕事がその方にはあるんです。

 

プライドとか、世間体とか、承認欲求から来るやりたいこととか、そういうのを取っ払った先に、天職がある。

 

私はそう考えています。

 

ある程度の年齢になったらやりたいことより出来ること。

 

 

それを極めることが人生をちょっとだけ楽に生きるヒントかなって思ってます。

 

自分の場合は出来ないことが多すぎて、もし適性という考え方に出会ってなかったらどうなっていたことか…。

 

今考えても恐ろしい。

 

出来ることを分析して、人より上手くできることをどんどん伸ばしていく方が、自分にとっても周りにとってもいい影響があるに決まってるから。

 

出来ないことにしがみついて自分も周りも不幸にしてる人がまだまだ多いように思うけど、自分の欲求より周りに頼まれることをやっていく方が結局人生は豊かになると思う。

 

求められなくて怒られてばっかりで失敗ばかり、っていう環境は合ってないんです。

 

心とからだを病むだけです。

 

人から自然に感謝されて体もそこまでしんどくない仕事ってのがおそらく天職。

 

でもそれはやりたくないことや、ちょっと嫌なことだったりする。

 

そのエゴを超えていった先に、新しい景色は見えてくるんだと思う。

 

そういうからくりがあるから人生って奥が深いんだろうな。

 

 

 

 

HSPの生き方について。いまだにどう生きたらいいのかわからない

私はHSPの特徴の大半に該当するゴリゴリのHSPなんですが…

 

週四日のバイトが精一杯。

 

あとはまあ贅沢せずに細々と生きているわけなんですが…

 

世の中の重度HSPはどうやって生きてるの…。

 

本当に、みんなこの非HSPに有利な嘘まみれの世界でどう生きてるんでしょうか。

 

30代になって改めて、どう生きていいかわからないよ~。

 

大体普通の、既存の価値観の世の中に合わせられる人だと、恋愛して結婚して子供産んで育てる、みたいなプロセスがあるんだと思うんですよ。

 

だけど私はどうも「そっち側」の人間じゃなかった。

 

周りの友人たちが当たり前のように踏む人生の段階を同じように歩むことが、私には難しすぎた。

 

まあ子供のころからどれだけ普通の人っぽく擬態しても、どれだけ勉強を頑張ってみても、とことん脱線するしかなかった人生だから、やっぱりこうなったか…っていう感覚なんだけども。

 

学生時代も今以上に世の中に絶望していたんだけど(今はもう諦念?に近い感覚)結局勉強さえしていれば正解がもらえたという点では楽ではあった。

 

実は親が典型的エリートだったもんで、私自身も勉強は得意だったんですよね…。

 

結局何も考えなくても、誰かがくれる問題に回答していりゃよかった。

 

そういう意味では難しいことを考えずに済んでた。

 

とりあえずいい点を取れば誰かがほめてくれるなり、優越感に浸ることができた。

 

だけどある程度の年齢になるとそうはいかない。

 

彼氏は、仕事は、結婚は、という感じで、世の中は生きづらい人間にはますます居づらい環境になっていった。

 

私はそれに絶望して体をとことんぶっ壊してしまった。

 

19歳くらいからやんわり死にたいと思ってて、二十歳で動けない状態になってしまった。

 

そこから回復しても私は脱線するしかなかった。

 

大学を二年留年した。

 

もう普通の人間に擬態できないと悟っていた。

 

世の中の人たちと私、一体何が違うんだろう、と考えながら、すべて違うんだろうな、という感覚に悩んでいた。

 

 

どうも世の中の人は私ほど考えていないらしい。

 

皆あまり考えずに生きていけるものらしい。

 

私なんかコロナワクチンも怖すぎて一回も打たなかったんだけど世の中の大半の人は打ってますもんね。

 

私はいつもどっか俯瞰してしまうんです。

 

妄信できない、のめりこめない。

 

うかつに信じて何度も大けがしてきてるせいで、めちゃくちゃ疑います。

 

 

生きるための模範解答があればいいのにと思う。

 

出来れば繊細さん用の、生き方の指南書みたいなものがあればいいのに。

 

でもはっきり思うのは、仕事は得意なことをやるべきってこと。

 

苦手なことをやっちゃダメ。

 

得意なことをとことん探したほうがいい。

 

あとは好きなことも生きていく上でとっても大事。

 

私が一番好きなことは旅です。

 

実は一人でこっそり北海道や沖縄に行ったりしますし。

 

意外と私の住んでるところは空港にアクセス抜群で、格安航空使えば安く行けちゃうんだよなあ。

 

あと本当は人より動物が好き。

 

見てると癒されます。

 

それからアニメ見るのもバラエティ見るのも好き。

 

アニメにはどん底の時からずいぶん救われてきました。

 

綺麗な景色を絵にするのも好きだなあ。

 

HSPは見える世界の解像度が細かいから絵に向いてるんだよなあ…。

 

いつか副業で芸術家にでもなれたらいいのにな。

 

そんなことをぼんやり思う。

 

 

現代に疲れている私は遅く生まれすぎたんだろうか

個人的に、ネットがあまり普及していなかった20年くらい前の音楽や映画が好きです。

 

今も心がときめくのは、意外と2000年代前半の作品だったりする。

 

あの時代の音楽って今聞いても全然ダサくないんだよなあ。

 

私は当時、音楽が大好きな中学生だったんですよね…。

 

なんか懐かしい。

 

映画もいろいろ見たなあ~。

 

主にファンタジーが好きでした。

 

ハリーポッターとかロードオブザリングとか懐かしいな~。

 

音楽は才能ないし、楽器も全然うまくはないんだけど、ピアノを弾くのが好きでした。

 

音楽に関しては高校で吹奏楽部をみっちりやったおかげで人間関係に失望しちゃって、それ以来あまり好きじゃなくなってしまいましたが。

 

今思うと子供を音楽嫌いにしちゃう部活動って、あんまりよくない気がするんだけどね。

 

話が脱線してますが、現代は国際情勢を見ても、どこの国も移民増えすぎでカオスじゃないですか。

 

20年くらい前、10代前半の私はハリーポッターが大好きな子供でした。

 

いつかイギリスに行きたいと思いながらそれもかなわず、気づけばこの歳まで来てしまいました。

 

 

今ロンドンって移民だらけでやばいらしいし、今のイギリスに行こうとは思わないんだけどね。

 

なんか世界の情勢が悪化しているように思えてならない。

 

温暖化も確実に進んでますし。

 

 

とにかく気候が明らかに変わってしまった。

 

中学生くらいの頃って、九月になると涼しくてほっとしていたのをよく覚えています。

 

20年くらい早く生まれていれば私はどんな人生だったんだろう。

 

そんなことを時々考える。

 

現代はネットの普及で世の中が非常に便利になったし、スマホ一つで今どこにいるかもわかるし、なんでも調べられるし、本当に便利。

 

その恩恵は私も受けまくっていますし、感謝してる面も多い。

 

一人旅が好きなんでスマホあって助かるし。

 

だけど急速なネットの発展で、失われたものも本当に多いと思うんだよねえ…。

 

何というか、何もかもが軽くて薄っぺらくなった気がしてならない。

 

特に音楽が軽くなった気がする。

 

昔はやっぱり重みがあって、好きなアーティストの曲をかみしめて聞いていた気がする。

 

今はどこでも聞けちゃうけど、その分ときめかなくなった。

 

音楽に限らずなんでもそう。

 

ネットって疲れるんだよな…。

 

もう今はSNS一切やってないしネットの付き合いもないけど。

 

振り返るとリアルとは違って何も残らない関係でしたね。

 

今ネットを通じてかかわった人に騙される人が多いみたいだけど、本当に文字だけで人を判断したらいけないです。

 

 

一体どれだけのものがこの急速なネットの普及で失われたんだろう。

 

私の場合、HSPで些細な変化にも敏感だから、もう少し早く生まれていたとしても、それなりの楽しみ方があったように思う。

 

もっと余韻のある季節の移り変わりを楽しんで、情報におぼれることもない人生があったのかもしれない。

 

そんなことをふと思う。

 

まあこの時代もこれはこれで、いいところいっぱいあるんだけどね。

 

 

 

 

 

スピリチュアルって極端な人が多い。もっと中庸な考えで、ゆるく、ほどほどに行こうよって思う

以前アメブロでスピリチュアルな人達と交流してたことがあるから思うんですけど、スピリチュアルな方って両極端なんですよ。

 

ツインレイ界隈とか見てて思うんですけど、過剰に信じているか、信じた結果嫌な目に遭って過剰に批判する側に回ってるかのどっちかなんですよね…。

 

大人なんだからさ~、もうちょっと中道な発信をしてもいいんじゃないのって思う。

 

何事も信じすぎず、批判しすぎず、っていうほうが健全な気がするんです。

 

そもそも中庸って言葉があるやろ…スピ知識をかじった方ならなぜわからないのかなって思うけど、結局妄信も批判も同じエネルギーだから、言い方は失礼だけど目くそ鼻くそっていうか、同じ次元で叩き合ってるように見える。

 

 

何事も話半分にとらえて、自分にとって心地いいことだけ、ゆるく信じりゃいいと思うんだよなあ…。

 

妄信しちゃだめだけども。

 

いいとこだけ取り入れりゃよくないかな。

 

実際私も救われたんですよね、ツインレイ概念に。

 

不倫とかじゃないけど立場とか歳の差でかなわぬ恋ってやつで長いこと悩んでたんで。

 

だから割とお世話になった概念ではあるんだよね~。

 

この概念が無かったら無かったで、たぶん自分のメンタルはよくない方向にいってた気がする。

 

今はもう現実を理解したからあまり信じていませんが、本当に救われた時期があるから、そういうファンタジーがあってもいいと思うんですよ。

 

すべて否定してしまうとそれはそれで、ゆがみが生じてしまう気がするんです。

 

人間なんて100%正しいあり方なんて不可能ですもん。

 

私だって間違えまくるし、ネガティブになったりポジティブになったり。

 

人間ですから、波があって当たり前。

 

ツインレイもスピリチュアルも、極端に散財してしまうから大変なことになるわけで…

 

ほどほどに「そういう世界もあるのかも知れないな、あったらいいかもな、知らんけど」くらいの緩ーい感じで、生暖かい目で見てたらいいんじゃないかな。

 

皆力入りすぎなんだと思うわ。

 

愛を謳ってる割に目が血走ってるっていうか。

 

それはもう妄信です。

 

今のツイン界隈ぶっちゃけカルトですからね…。

 

行き過ぎた信者が怖いっていう…。

 

そっから批判側に回った人もたぶん同じ。

 

もっと怖いかもしれないな。

 

たかがスピの話なんだからもっと楽に考えりゃいいのに。

 

実際目に見えない世界のことって、神様でもない私たちには、「ある」とも断言できないし、「ない」とも断言できない世界だから。

 

血液検査して数値でわかるとかじゃないもん。

 

ツインレイなら白血球の値が~、とかそういう話なら分かりやすいんだろうけど証明するすべが全くないんだよね。

 

 

完全に自己申告でしかない。

 

だからきっと真実は死ぬまでわからない。

 

今は信じたい気分なら信じときゃいいんです。

 

そういう時期も必要だよ。

 

苦しくて現実で抱えこんで自殺するよりずっといい。

 

今は信じたくない気分なら、それはそれで、現実見れてるってことだし。

 

どっちでも生活に支障がなけりゃいいんですよ。

 

とにかく何事も極端ってのがよくないんだと思うんです。

 

こういうファンタジーって現実生活を豊かにするためのものだからさ。

 

批判したり妄信したりしてお金や時間が飛んでいくのがよくないって話です。

 

あってもなくてもどっちでもいい、くらいのスタンスでほどほどに信じときゃいいんですよ。

 

振り返ってみると私は悩み倒してた時ツインレイ概念が必要だったし、おかしい部分も多々あったけど感謝してる部分もあるから、まあいっかって思ってます。

 

信じすぎない、批判もしすぎないのがベストだと思う。

 

皆これが出来てないからお互いを批判して殴りあって大変なことになるんだよなあ。

 

 

ワンネスの対局は過剰な思い込みなのかもしれない…。

 

ワンネスを説くスピリチュアルな人たちが矛盾してるなあと感じますが中庸を忘れてるんだなあ。

 

 

いかに役立たずを極めるか。

昔っから、人の役に立ちたい、って思ってたんだよね~。

 

中学生くらいからずっと、何か人に褒めてもらえるような進路を選ばなきゃ、って思ってた。

 

正直友達もろくにいないのにいい子過ぎた。

 

もっと悪態ついてもよかったんだ。

 

めちゃくちゃなことをしてもよかったんだ。

 

私は人に褒められたかった。

 

だから役に立ちたかった。

 

でもそれって結局承認欲求でさ。

 

あれほど医療従事者になるぞって意気込んでたくせに、入ってみたらあのざまだよ。

 

つまり本当に望んでたわけじゃなかったってこと。

 

でもたぶん人間ってそういうもんなんやな…。

 

なりたいなりたいって思ってるものにはなれないんだわ。

 

役に立たなきゃ、って思ってる人間ほど、役立たず、自分のために生きる人生、ってのをまっとうさせられる。

 

ってか、それが課題なんだわ…。

 

役に立たなきゃって思えばもう程、病気になっていくっていうからくり…。

 

もちろん人として最低限の頑張りはいるけれども。

 

でもたぶんそれだけで十分なんだ…。

 

もしこの病気にならなかったら私、どんなに風邪ひいても寿命縮めても、看護師になったでしょ。

 

実際体が楽な時、看護師になることを真剣に考えたやん。

 

もう二年前のことだけども。

 

まあ転職サイトに騙されたのもあるけど、多少きつくても何かやれるなら役に立ちたいって思ってしまったのも事実。

 

そう考えたらあの頃マジで楽だったんだな~。

 

我ながらめっちゃ寛解してたわ…。

 

私は自分のために生きることを課題として生まれてきてるんだ。

 

だから人のため、人のため、って思えば思うほど化けの皮をはがされるんだわ。

 

前世の影響もあるんやろな…。

 

そうとう自分を顧みずに、めちゃくちゃな修行をしたそうだし…。

 

体弱いのもそのせい…。

 

とにかく本当の声で生きてほしい。

 

周りなんて見ちゃだめだ。

 

周りの賞賛なんか期待しちゃだめだ。

 

そんなもの得ても私の魂はたぶん喜ばないんだ…。

 

たとえどれだけパッとしなくても底辺でも、それが魂のあるべき姿なら、それがミッションなんだよね。

 

幸せになる近道…。

 

まあそのくせ進路選択の時から、私にはほかにやりたいこともなかったんだよなあ…。

 

もし本当に文系に行ってたらどうなってたんだろ。

 

私の性格からしてあり得ないんだよなあ…。

 

遊ぶために進学するっていう発想もなかったしな~。

 

つまりやっぱり神の導きがあって、でもそれは分かりやすい形で人を救うとか世の中の役に立つとか、そういうのではたぶんなかったんだわ。

 

どこでも優しいって言われる。

 

癒されるって言われる。

 

多分それを生かすのもミッションだよね。

 

 

 

二月が終わる…

二月あっという間だったなあ…。

 

去年の二月のほうがつらかったなあ…。

 

そりゃ生きてる限りいろいろあるよな。

 

なんかもう、30年以上生きてるけど、生きるってのはやっぱり修行なんだろうなって思うわ。

 

それなのにどっかにうまい話ころがってないかなって思ってしまうのは、自分の弱さだと思う。

 

ここ数年冬が苦手な気がする。

 

朝がつらいし…泉北にいたころのほうが冬が好きだったような気がするのはなぜなんだろう。

 

自然が多くて綺麗だったからかなあ…。

 

本当はもう少し自然のあるところで暮らしたいけど、今はここがあってるんだろうな~。

 

振り返ればあんな明け方に出勤してたんだから、よく頑張ってたよな…。

 

あの頃は世間知らずで、スピリチュアルに傾倒してたし、振り返れば馬鹿だったなあと思う反面、逃げ出したくなってしまうのも仕方なかったのも分かってる。

 

今より若かったんだもん。

 

そりゃあネットの自慢話を真に受けてたし、羨ましかったよなあ…。

 

もう長いことネットの知り合いも作れなくなってる。

 

しょせん自慢大会だし、嘘だらけだし。

 

あんな世界に浸ってたら自分が駄目になるに決まってた。

 

目が覚めてよかった…。

 

まだ夢の中にいる人たちは自分には救えないけれど。

 

もうなんか、前みたいにブログをヲチすることもできなくなったような気がする…。

 

あの世界に気持ちだけでも戻ってはダメだ、っていう感覚があるからだ。

 

波動なんか気にしてたら生きていけない。

 

人間は生きている限り高い波動なんて維持できないんだから。

 

あの頃は、どっかに理想的な世界があって、働かなくてもよくて、好きなことだけして生きていける世界があると思ってた。

 

躁状態だよね…今振り返っても本当に怖い。

 

スピリチュアルは本当に怖いな…。

 

キラキラしてて憧れたけど、結局素晴らしい教えなんかじゃなかったんだ。

 

耳心地のいいこと言ってても、物事には必ず裏があるから。

 

表があれば裏がある。

 

悪意のない人間はいない。

 

私自身がそうであったように。

 

綺麗ごとばっかりならべて、本心はツインレイのあの人を独占したい、自分のものだけでいてほしいっていう愚かな心を隠してた。

 

自分自身に嘘をついてた。

 

ごまかして、偽善者ぶってた。

 

それがすべて露呈した結果、ああいうことを起こしてブチぎれてしまったわけで。

 

だからサイレントになることが必要で、バカみたいな教えに傾倒して騙される経験も必要だった…。

 

でもそれはもう昔のことで…これからはどうなんだろう?

 

色んな場所に行った。

 

色んな景色を見た。

 

地に足をつけて、少しでもたくましく生きたいよね。

 

この世の中であまり役に立てない人間だけど、弱いままだけど、だからこそ少しでも誠実でありたいと思った。

 

この世界のレールに合わせられなくても、地に足をつけることは別問題。

 

世の中や人間を以前より理解してるんだから、偽善じゃない生き方が出来るはずなんだ。

 

色んなものをみていろんな人に会ってきた。

 

今とこれからの自分にならもっと人間らしい生き方がきっとできるはずだ。

 

正しいと思っていることが必ずしも正しくないとわかった。

 

綺麗ごとを言う人のほうが実は嘘つきってことも分かった。

 

一見厳しい中にも真実があるっていうことも分かった。

 

天の導きは一直線じゃない。

 

まだ今の段階では明かされていない秘密もいっぱいあるんだ…。

 

だからわからないなりに進まなければ。