前回の記事で、ツインレイに出会ってるって話を書いたんですけども…。
ツインレイにはいわゆる「サイレント期間」というものがあります。
単なる男女の別れとは全く違って、魂がとことん意地悪な方法で引き離してくるんです。
それはもう、抗えないものすごい力なんです。
もう人生の支えを完全に失った感覚で、ふらふらになりました。
あの頃どうやって生きていたのかよくわからないんです。
とにかく泣き暮らしていたのか、死ねないから生きていたのか…。
それまでにもまあまあ辛い人生だったんですけど、どんな地獄も上回る悲しみが、絶えず襲ってくる感じでした。
それはそれは神や仏のような大きなものを恨み倒しました。
信じてもらえないだろうけど。
この出来事がおきたのが2018年で、何が起きたのかわからないまま長い時間を過ごし、2020年にツインレイを知って、その後もいろいろあって今に至るんですが(実は2022年にお相手の方とは二回あってます)
正直言って、私はあれ以来ずっと自分の人生を恨んできました。
世の中を憎んで人生を憎み、親も周りの人間もすべて許せない、っていう時間を過ごしてきたように思います。
逆恨みなんですけど、それくらい恨まなければ私は自分を保てませんでした。
これ…他人に言っても理解されないのは分かってるんです。
それもまた私の絶望感の一つの要因なんですけど。
ツインレイ当事者同士でさえあまりわかりあえなかったしなあ。
だからツインレイのほかの方々とも自分はほとんど交流してません。
まあとにかく辛かったんです。
恨みつらみをアメブロに書きなぐってた時期もあります。
結果似たような、ちょっと病んだ方々を引き寄せてましたね…。
類は友を呼ぶ、をネット上でわかりやすく学びました。
ネットなんて不平不満のはけ口だと思ってました。
だけど今は違います。
ネットに想念を乗せると現実化が早まるってのを知ったんで。
文字のパワー恐るべしです。
実際ネットに攻撃的なことを繰り返し書いていた時期って、今振り返ると地に足がついてない似たような人間を引き寄せていました。
現実もどんどんおかしくなってました。
その後長い間ブログからは距離を置いていましたが、今またとことん何か書きたいという欲が再燃しています。
不思議ですね…。
文章なんて一切浮かばなくなっていたのになあ。
今は書くことが楽しい。
気付けば私もいい歳ですし…私がちゃんと安定しないとあの人が来れないのも分かるから、たぶん何かに一生懸命取り組みたいんだろうなあ。
あの人に心配ばかりかけてきたのも分かってるから。
もっと人としてちゃんとしたい。
自分を大切にしたい。
今日できることを精一杯見つめたい。
周りにいる人に今できることを、いつでも考えていたい。
仕事でも、もっと意識的に周りの人を見るようになっている気がします。
生きてること、こうしてネットができること、暖房があること、食べられること、全部当たり前じゃないってようやくわかってきた。
この考えに至るまでに5年くらいかかっちゃったけど…。
もう惰性で生きているのは嫌だ。
神を恨んでも、人生を恨んでも、面白くない。
いいこともない。
結局私は自分の陰の部分ととことん向き合ってきたけれど、いい加減光のほうに目を向けたいんだと思う。
過去よりも未来。
恨みよりも感謝できることを探したい。
こういう心境になれてよかった。
これは私にとって大きな一歩だと感じています。
写真は家の近所の公園の夕暮れ時。